第10章 滑らかなモジュライ空間を作る
線形化が全射なら零点集合は滑らかになる
有限次元の写像
\[ f:\mathbb R^3\longrightarrow\mathbb R, \qquad f(x,y,z)=z-x^2-y^2 \]
を考える。原点での微分は \(df_0(u,v,w)=w\) で全射である。従って \(f^{-1}(0)\) は原点近くで
\[ z=x^2+y^2 \]
という2次元の滑らかな曲面になる。接平面は \(w=0\)、すなわち \(\ker df_0\) である。非線形項 \(x^2+y^2\) は曲面を曲げるが、次元を壊さない。
無限次元でも構図は同じである。Coulombスライスが定義域からゲージ方向を除き、\(d_A^+\) の全射性が値域に余る方向がないことを保証する。この二条件がそろうと、Banach空間版陰関数定理により、零点集合の接空間は \(H_A^1\) になる。
非線形方程式をスライス上で解く
ASD接続 \(A\) のCoulombスライス上で
\[ \Phi(a)=d_A^+a+(a\wedge a)^+=0,\quad d_A^*a=0 \]
を解く。\(D\Phi_0=d_A^+\) であり、\(H_A^2=0\) なら線形化はスライスから \(\Omega^2_+\) へ全射である。Banach空間版陰関数定理により、\(0\) の近くの解集合は \(H_A^1\) を接空間とする滑らかな多様体になる。irreducibilityで \(H_A^0=0\) も満たせば、商の局所次元は指数に等しい。
\(H_A^2\) が消えない場合も構造は失われ切らない。Green作用素を使って無限次元方向を解消すると、有限次元写像
\[ \kappa:H_A^1\longrightarrow H_A^2,\quad \kappa(0)=0,\quad d\kappa_0=0 \]
の零点として局所モジュライを表せる。これがKuranishi模型である。障害空間という名前は、\(H_A^2\) が非零だと変形が二次以上で妨げられることを正確に表す。
蔵西写像はどう作るか
上の有限次元写像を、もう少し構成として見る。楕円理論により、\(d_A^+\) の像の直交補を \(H_A^2\) と同一視し、射影
\[ \Pi:\Omega^2_+(\operatorname{ad}P)\longrightarrow H_A^2 \]
を取る。\(H_A^2\) に垂直な方向では、線形化 \(d_A^+\) が右逆を持つ。そこで \(a\) を
\[ a=h+\eta(h),\quad h\in H_A^1 \]
の形で探し、\(H_A^2\) に垂直な成分
\[ (1-\Pi)\Phi(h+\eta)=0 \]
を陰関数定理で解く。残る方程式が
\[ \kappa(h)=\Pi\Phi(h+\eta(h))=0 \]
である。これがKuranishi写像で、局所モジュライは \(\kappa^{-1}(0)\) に安定化群作用を割ったものとして表される。
\(d\kappa_0=0\) であることも重要である。一次の障害はすでに \(H_A^1\) の定義で消してあるので、障害は二次以上で現れる。これが「一次変形は存在するのに、本当の曲線として伸びない」現象の数学的な場所である。
構成を入出力で整理すると、次の三段階である。
- \(h\in H_A^1\) を「一次まで許される変形」として選ぶ。
- 無限次元だが逆に解ける方向を \(\eta(h)\) として一意に補正する。
- それでも \(H_A^2\) 方向に残る有限個の誤差を \(\kappa(h)\) として測る。
従ってKuranishi写像は、無限次元方程式を別の問題に置き換えて済ませるものではない。逆に解ける無限個の方向を消去し、逆に解けない有限個の方向だけを露出させる写像である。
有限次元模型:二次の障害
Kuranishi写像の意味は、有限次元の方程式
\[ f(x,y)=y^2-x^3=0 \]
を原点近くで見ると分かる。線形化 \(df_0\) は0なので、一次近似は何も制限しない。すべての方向が一次変形に見える。しかし実際の零点集合は平面全体ではなく、cuspを持つ曲線である。
もっとモジュライ的に書けば、一次変形空間を \(H^1=\mathbb R^2\)、障害空間を \(H^2=\mathbb R\) と見て、Kuranishi写像
\[ \kappa(x,y)=y^2-x^3 \]
の零点を取っている。\(d\kappa_0=0\) でも、\(\kappa\) そのものが0とは限らない。ASDモジュライでも、\(H_A^1\) の元がすべて実際の解へ伸びるわけではなく、二次以上の方程式が残る。
この模型は、\(H_A^2=0\) の仮定がなぜ強いかを示している。値域が消えれば、残るKuranishi方程式そのものが消え、局所モジュライは本当に \(H_A^1\) によって滑らかに記述される。
一般的な計量は何を動かすのか
固定計量ですべての解が正則とは限らない。計量 \(g\) も変数に含めた普遍モジュライ問題を考え、射影
\[ \pi:\mathcal M^{\mathrm{univ}}\to\mathrm{Met}(X) \]
の正則値を選ぶ。ここで用いるSard–Smaleの定理では、\(\mathcal M^{\mathrm{univ}}\) と \(\mathrm{Met}(X)\) を可分なBanach多様体として完備化し、射影 \(\pi\) が \(C^r\) Fredholm写像で、その微分可能性の階数 \(r\) がFredholm指数より大きいことを仮定する。このとき正則値となる計量は残余集合をなす。ここで「一般的」とは、何となく典型的という意味ではなく、完備距離化可能な関数空間で可算個の開稠密集合の共通部分に属するという意味である。
計量を動かすだけで可約を避けられない場合は、ホロノミー摂動など方程式側の摂動が必要になる。何を摂動したかを明示しなければ、不変量の定義域やコンパクト性が変わりうる。
有限次元では、放物線 \(y=x^2\) と水平線 \(y=c\) の交点が模型になる。\(c>0\) なら二点で横断し、\(c=0\) では接して線形化が全射でない。\(c\) を少し動かす操作が摂動に対応する。ただし、ゲージ理論では「解が見やすくなる値を選ぶ」のではなく、許された補助データの空間で横断性を満たす値が稠密に存在し、異なる選択が後のコボルディズムで同じ不変量を与えることまで示す必要がある。
横断性が解決すること、しないこと
横断性は、線形化が全射になるように補助データを選ぶ手段である。従って解決するのは \(H_A^2\) の消滅、つまり局所的な滑らかさである。解決しない問題もある。
まず、可約接続の安定化群は横断性だけでは消えない。可約を避けるには、束の位相型、計量条件、\(b_2^+\) の仮定、または摂動の設計を別に見る必要がある。
次に、コンパクト性は横断性から出ない。正則なモジュライでも、解列がバブリングで逃げれば、点の数え上げは不変量にならない。
最後に、向きも別問題である。滑らかな多様体であっても、向きが選べなければ符号付き数え上げを定義できない。
この三つを分けると、モジュライ構成の流れが見えやすくなる。
| 段階 | 主な問題 | 使う道具 |
|---|---|---|
| 局所商 | ゲージ重複と安定化群 | スライス定理、irreducibility |
| 局所滑らかさ | \(H_A^2\) | 陰関数定理、Sard–Smale |
| 大域閉性 | 解列の逃走 | Uhlenbeck コンパクト性 |
| 数え上げ | 符号と境界 | 行列式線束、コボルディズム |
この表は実制作上のチェックリストでもある。ある章で「一般的にモジュライが滑らか」と言えても、それはコンパクト性や向きを自動的に含まない。逆に、コンパクト化の定理を引用しても、正則性がなければ境界付き多様体として数えることはできない。Donaldson理論の証明が長くなるのは、これらを一つずつ別の定理で閉じる必要があるからである。
ソボレフ解から滑らかな解へ
Banach多様体を作るため接続を \(L_k^2\) で完備化したが、最終的なモジュライは滑らかな接続で解釈したい。CoulombゲージでASD方程式は楕円型系となる。右辺の二次項をSobolev乗法で一段ずつ改善し、楕円正則性を繰り返し適用すれば、弱解はゲージ変換後に滑らかになる。従って完備化は解析の道具であり、新しい粗い解を不変量へ混入させるものではない。
正則性向上の一段目
局所Coulombゲージで \(A=A_0+a\) と書くと、ASD方程式とゲージ条件は概略
\[ d_{A_0}^+a=-(a\wedge a)^+,\quad d_{A_0}^*a=\text{lower terms} \]
という楕円系になる。\(a\in L^2_k\) で \(k>2\) なら、Sobolev乗法により右辺は一つ低い空間で制御できる。楕円正則性は
\[ \|a\|_{L^2_{k+1}(U')} \le C\bigl(\|D_{A_0}a\|_{L^2_k(U)}+\|a\|_{L^2(U)}\bigr) \]
の形で内部正則性を与える。これを局所チャートで繰り返すと、\(a\) は任意階のSobolev空間に属し、Sobolev埋め込みから滑らかになる。
ここで重要なのは、正則性改善が方程式を使っていることである。任意の \(L^2_k\) 接続が滑らかになるわけではない。ASDという楕円方程式を満たすから、完備化の外へ迷い込んだように見える解が滑らかな世界へ戻ってくる。
向きは数える前に必要
0次元モジュライの点を符号付きで数え、正次元モジュライでコホモロジー類を積分するには向きが必要である。局所的には行列式線束
\[ \det D_A=\Lambda^{\max}\ker D_A\otimes (\Lambda^{\max}\operatorname{coker}D_A)^* \]
の向きを選ぶ問題になる。Donaldson理論では \(H^1(X;\mathbb R)\oplus H^2_+(X;\mathbb R)\) のホモロジー向き等がこの選択を制御する。
0次元の有限次元模型では、写像 \(f:\mathbb R\to\mathbb R\) の正則零点 \(x_0\) に付く符号は \(f'(x_0)\) の符号である。\(f(x)=x^2-1\) なら零点は \(-1,1\) で、符号はそれぞれ \(-1,+1\) だから符号付き和は0になる。行列式線の向きは、この「ヤコビ行列式の符号」を核と余核を持つFredholm作用素へ拡張したものである。
局所的な滑らかさが得られても、モジュライがコンパクトとは限らない。解列が収束しなければ、点の数え上げもコボルディズムも境界から漏れる。第6章の小尺度インスタントンが示した通り、4次元の尺度不変性は曲率集中を許す。次章では逃げ方を分類する。
Kuranishi写像の模型 \(\kappa:\mathbb R^2\to\mathbb R\)、\(\kappa(x,y)=x^2-y^3\) を考える。原点での線形化と零点集合を求め、線形化だけでは局所形が決まらないことを説明せよ。
解答。 微分は \[ d\kappa_{(x,y)}=(2x,-3y^2), \qquad d\kappa_{(0,0)}=(0,0) \] だから、線形化が与える形式的接空間は \(\ker d\kappa_0=\mathbb R^2\) である。しかし実際の零点は \(x^2=y^3\)、すなわち \(y\ge0\) で \(x=\pm y^{3/2}\) を満たす尖点であり、原点近傍の2次元多様体ではない。余核方向へ値を取る非線形障害写像 \(\kappa\) を残す必要がある。