第5章 von Neumann環:観測ごとの極限を閉じる
Core — ノルム閉性より弱い位相が必要になる理由から二重可換子定理まで進む。
5.1 \(C^*\)-環だけでは足りない場面
\(C^*\)-環のノルムは、すべての単位ベクトルに対する作用を一様に制御する。しかし量子論で増大する有限領域の観測量を極限に送るときや、スペクトル射影を取り出すとき、各ベクトル \(\xi\) に対する \(T_n\xi\) の収束は得られても、\(\sup_{\|\xi\|=1}\|(T_n-T)\xi\|\to0\) までは得られないことがある。
例として \(H=\ell^2(\mathbb N)\) で、最初の \(n\) 個の基底への射影を \(P_n\) とする。任意の \(\xi=(\xi_k)\) に対して
\[ \|(I-P_n)\xi\|^2=\sum_{k>n}|\xi_k|^2\longrightarrow0, \]
したがって \(P_n\xi\to\xi\) である。しかし \(\|I-P_n\|=1\) なのでノルム収束しない。ノルム位相だけを使うと、この自然な近似極限を見失う。
5.2 三つの作用素位相
\(B(H)\) 上で次を区別する。
- ノルム位相:\(\|T_i-T\|\to0\)。
- 強作用素位相(SOT):すべての \(\xi\in H\) で \(\|(T_i-T)\xi\|\to0\)。
- 弱作用素位相(WOT):すべての \(\xi,\eta\in H\) で \(\langle T_i\xi,\eta\rangle\to\langle T\xi,\eta\rangle\)。
ノルム収束なら強収束、強収束なら弱収束する。逆は一般に成り立たない。SOTとWOTでは、積は二変数同時には連続でない。ただし一方を固定すれば連続であり、一様有界なネットについて必要な極限操作ができる。このため単なる位相環としての直感には注意が要る。
弱-* 位相も現れる。von Neumann環 \(M\) はあるBanach空間 \(M_*\) の双対 \((M_*)^*\) として一意な前双対を持ち、この双対性が定める超弱位相を持つ。\(B(H)\) の前双対はtrace class作用素 \(S_1(H)\) であり、
\[ \omega_\rho(T)=\operatorname{Tr}(\rho T) \]
がnormal線形汎関数を与える。WOTと超弱位相は有界集合上で密接だが、定義上同一ではない。
5.3 可換子は「両立する全観測」を集める
\(S\subset B(H)\) に対し
\[ S'=\{T\in B(H):TS=ST\ \text{for every }S\in S\} \]
を可換子という。これは単位元を含むWOT閉な \(*\)-部分代数である。
なぜ交換するもの全部を見るのか。行列の同時対角化が示すように、自己共役作用素の交換は同時に測れることや共通のスペクトル分解と結びつく。\(S'\) は、\(S\) が指定した構造を乱さない全作用素、すなわち対称性の環と読める。さらに \(S''=(S')'\) は、その全対称性と両立する作用素を集める。これは \(S\) から代数を生成して弱い極限まで閉じたものになる。
5.4 von Neumann環の三つの顔
単位元を含む \(*\)-部分代数 \(M\subset B(H)\) について、次の条件は同値である。
- \(M=M''\)。
- \(M\) はWOT閉。
- \(M\) はSOT閉。
この同値性がvon Neumannの二重可換子定理であり、これらを満たす \(M\) をvon Neumann環という。
ここで具体的表現 \(M\subset B(H)\) は定義の一部である。ただし抽象的には「前双対を持つ \(C^*\)-環」、すなわちW*-環として特徴づけられる。\(C^*\)-環とvon Neumann環は包含関係だけで比較する概念ではない。前者はノルム位相での連続関数的な幾何に強く、後者は測度論的極限と射影に強い。
5.5 二重可換子定理の核心
[証明の概略] \(M''\) がWOT・SOT閉で \(M\) を含むことは、交換関係が行列係数の等式で書けることから分かる。したがって \(M\) のWOT/SOT閉包は \(M''\) に含まれる。
逆向きが核心である。まず \(T\in M''\) と有限個のベクトル \(\xi_1,\ldots,\xi_n\)、\(\varepsilon>0\) を取る。\(H^{\oplus n}\) 上の対角増幅
\[ M^{(n)}=\{A\oplus\cdots\oplus A:A\in M\} \]
を考え、\(\xi=(\xi_1,\ldots,\xi_n)\) とする。閉部分空間
$$ K=
$$
への射影は \((M^{(n)})'\) に入る。\(T\in M''\) であることから、対角増幅した \(T\) はこの射影と可換し、\(T^{(n)}\xi\in K\) となる。よってある \(A\in M\) が
$$ |(T-A)_j|<(j=1,,n)
$$
を同時に満たす。これは \(T\) が \(M\) のSOT閉包に入ることを意味する。ここで有限個のベクトルを一つの直和ベクトルに束ねる「行列増幅」が、点ごとの近似を同時近似へ変える。完全な証明では \(n=1\) の巡回部分空間から始め、増幅の可換子を丁寧に同定する。[Kadison–Ringrose I; Takesaki I]
5.6 なぜ射影が豊富になるのか
自己共役 \(a\in M\) に連続関数を適用するだけなら \(C^*(a,1)\) に留まる。しかし指示関数 \(1_E\) は不連続である。von Neumann環の弱閉性により、有界Borel関数計算を使って
$$ 1_E(a)=E_a(E)
$$
というスペクトル射影を \(M\) 内に保てる。これが \(C^*\)-環からvon Neumann環へ進む実質的理由の一つである。
5.7 スペクトル定理:対角化を測度に置き換える
有界自己共役作用素 \(T\) に対し、\(\sigma(T)\) 上の射影値測度 \(E_T\) が一意に存在して
$$ T=_{(T)},dE_T()
$$
となる。有限次元なら積分は
$$ T={(T)}P
$$
であり、固有空間への直交射影を足している。無限次元では連続スペクトルがあるため、有限和を射影値測度による積分へ置き換える。
各 \(\xi,\eta\in H\) に対し \(E\mapsto\langle E_T(E)\xi,\eta\rangle\) は複素測度であり、
$$ f(T), =f(),dE_T(),
$$
によって有界Borel関数計算が定まる。対角化で本質的だったのは「基底を選ぶ」ことではなく、「作用素を互いに直交する射影に分解する」ことだったと分かる。
5.8 可換von Neumann環は測度空間を表す
可換 \(C^*\)-環が位相空間に対応したのに対し、可換von Neumann環の標準例は \(L^\infty(X,\mu)\) が \(L^2(X,\mu)\) に乗算作用する環である。点ごとの値ではなく、零集合を無視した可測関数を扱う。したがってvon Neumann環は非可換な「測度論的空間」と考える方が近い。
同じ可換環でも表現と測度類が重要になる。これは、\(C(X)\) のGelfandスペクトルのように代数だけから点集合を読む立場との違いである。
5.9 normal状態
von Neumann環上の状態 \(\varphi\) がnormalであるとは、増大する有界な正値ネット \(a_i\uparrow a\) に対して \(\varphi(a_i)\uparrow\varphi(a)\) となることをいう。これは \(\varphi\) が超弱連続であることと同値である。
\(B(H)\) では正のtrace class作用素 \(\rho\) で \(\operatorname{Tr}\rho=1\) とすると
$$ _(T)=(T)
$$
がnormal状態を与え、すべてのnormal状態がこの形である。密度行列は、抽象状態のうち表現の測度論的極限と両立するものを具体化している。
5.10 章末の確認
- \(P_n\to I\) がSOTでは成り立ち、ノルムでは成り立たないことを示せ。
- 可換子を「対称性」、二重可換子を「対称性で決まる対象」と読む理由を述べよ。
- 連続関数計算とBorel関数計算の差が射影にどう現れるか説明せよ。
- 可換 \(C^*\)-環と可換von Neumann環が、それぞれ位相と測度のどちらに近いか述べよ。