第8章 三つの幾何相

第8章 三つの幾何相

STATUS: この節の主張は、定理・引用定理・発見法・予想を区別して読む。 STATUS: スケーリング極限や連続極限のうち本章で証明していない入力は、本文中で外部入力として扱う。

SLE の見た目は \(\kappa\) で変わる。

範囲 trace の幾何 hull との関係 代表例
\(0\le\kappa\le4\) 単純曲線 trace と hull がほぼ一致 LERW: \(\kappa=2\)、GFF level line: \(\kappa=4\)
\(4<\kappa<8\) 自己接触し、境界点を飲み込む trace より filled hull が大きい percolation: \(\kappa=6\)
\(\kappa\ge8\) 空間充填的 時間とともに領域を埋める UST Peano: \(\kappa=8\)
図 1: kappa=2,4,6,8 の幾何相の模式比較。これは相の定理の証明ではなく、定理の内容を読むための模式図である。

数値実験の見た目は有用だが、定理ではない。相の主張は Brown 駆動 Loewner chain の深い解析に基づく。特に \(\kappa=4\) は境界飲み込みの閾値、\(\kappa=8\) は空間充填性の閾値である。この二つの閾値は別の現象を表す。

\(\kappa=4\) と \(\kappa=8\) は何を分けるか

\(\kappa=4\) は、境界点を飲み込むかどうかの閾値である。第7章の Bessel 計算により、実軸上の点が標準座標で先端に到達するかどうかが変わる。したがって \(0\le\kappa\le4\) では、trace は単純曲線で、境界に触れても区間を飲み込むことはない。

\(\kappa=8\) は、trace が平面の面積を埋めるかどうかの閾値である。\(4<\kappa<8\) では、trace は自己接触し、hull は内部領域を飲み込むが、trace 自身は面積を埋めない。\(\kappa\ge8\) では trace が空間充填的になる。

percolation の探索経路は \(\kappa=6\) に対応するため、単純ではなく、境界点や領域を飲み込む。しかし \(\kappa=8\) 未満なので空間充填ではない。UST Peano curve は \(\kappa=8\) に対応し、木と双対木の間を走りながら領域を埋める。LERW は \(\kappa=2\) であり、単純曲線の相に入る。

trace と filled hull の見た目を分ける

\(\kappa>4\) の図では、曲線が囲んだ領域を塗りつぶして描くことが多い。この塗りつぶされた領域は filled hull であり、trace そのものではない。trace は境界を走る時間付き曲線であり、filled hull はその時刻までに先端から見えなくなった部分を含む集合である。

この区別を失うと、「SLE\(_6\) は面を塗りつぶすのか」という誤解が起きる。SLE\(_6\) の trace は空間充填ではないが、時間とともに多くの領域を hull として飲み込む。空間充填性は \(\kappa=8\) で初めて現れる。

相の主張を定理として読む

幾何相の表は、単なる描画アルゴリズムの出力ではない。\(\kappa\le4\) の単純性、\(4<\kappa<8\) の自己接触と境界の飲み込み、\(\kappa\ge8\) の空間充填性は、Brown 駆動 Loewner chain に対する解析定理である。Bessel 過程は境界の閾値を与え、内部の自己接触や空間充填性には別の容量・共形半径の評価が加わる。

したがって、\(\kappa=6\) の数値実験で領域が塗られて見えることだけから、空間充填性を主張してはいけない。観測対象が trace か hull か、有限時間の見た目か極限の性質かを記録する必要がある。図の caption にこの区別を書くことは、数値的証拠を定理と取り違えないための最低限の作法である。

本章の到達点

本章で解決した問いは、\(\kappa\) が変わると simple、自己接触、空間充填という幾何相がなぜ変わるかである。残った問いは、こうした幾何を計算可能な確率へ落とす方法である。次章では、条件付き確率をマルチンゲールとして読む。