第1部 相転移・臨界現象・普遍性という謎

1. 相とは何か

水と水蒸気、常磁性体と強磁性体は、同じ構成粒子からできていても巨視的には別の状態である。この「巨視的に区別できる平衡状態」を相と呼ぶ。ただし、相を単に見た目で定義すると、境界が曖昧になる。熱力学では、熱力学極限

\[ N,V\to\infty,\qquad N/V=\text{一定} \]

における自由エネルギー密度の解析性と、対称性・秩序変数を使って相を区別する。

有限個の自由度をもつ系の分配関数

\[ Z(T,h)=\sum_{\{s_i\}}e^{-\beta H(\{s_i\};h)},\qquad \beta=\frac1{k_{\mathrm B}T} \]

は、通常は正の解析関数である。和は許された全ミクロ状態について取り、各項の Boltzmann 重みはその状態のエネルギーが高いほど指数関数的に小さい。\(Z\) 自体は直接の観測量ではないが、Helmholtz 自由エネルギー

\[ F=-k_{\mathrm B}T\log Z \]

を生成し、\(F\) の温度・外場微分からエントロピー、内部エネルギー、磁化、感受率が得られる。したがって相転移の非解析性が厳密に現れるには、無限個の自由度が協調する熱力学極限が必要である。有限系の鋭い crossover と、無限系の真の相転移を区別する最初の理由がここにある。

2. 秩序変数

強磁性体を例に取る。各格子点の spin を \(s_i=\pm1\) とし、体積当たりの磁化を

\[ m=\frac1N\sum_{i=1}^N s_i \]

とする。外部磁場 \(h=0\) の Hamiltonian が全 spin 反転 \(s_i\mapsto-s_i\) で不変なら、有限系の Gibbs 平均は対称性のため \(\langle m\rangle=0\) である。それでも熱力学極限を先に取り、その後 \(h\to0^+\) とすると

\[ m_0(T)=\lim_{h\to0^+}\lim_{N\to\infty}\langle m\rangle_{N,h} \]

が \(T<T_c\) で非零になりうる。極限の順序は本質的である。これが自発的対称性の破れであり、\(m\) が秩序変数である。

液体–気体転移には見かけ上 \(\mathbb Z_2\) 対称性がないが、臨界点近傍では密度の臨界値からのずれを適切に混合した scaling field が Ising 型の秩序変数として働く。物質の分子構造が違っても、長距離で残る自由度の成分数、空間次元、対称性などが一致すれば同じ普遍性クラスに入る、という後の議論への最初の手掛かりである。

3. 一次転移と連続転移

一次転移では自由エネルギーの一次微分が不連続で、潜熱や密度の飛びが現れる。連続転移では秩序変数は連続的にゼロへ近づく一方、感受率や相関長が発散しうる。Ehrenfest の古い分類は高次転移を自由エネルギー微分の次数で分類したが、現代の臨界現象では「一次転移か、連続転移か」という区別の方が構造をよく捉える。

注意すべきなのは、すべての相転移が局所秩序変数や Landau 型の対称性の破れで記述できるわけではないことである。Berezinskii–Kosterlitz–Thouless 転移やトポロジカル相は、その限界を示す。本書の主線はまず短距離相互作用をもつ平衡系の連続転移であり、後で適用範囲を明示する。

4. 応答と揺らぎ

磁場を含む Hamiltonian を \(H=H_0-hM\)、\(M=\sum_i s_i\) と書く。磁化率は

\[ \chi=\frac1N\left.\frac{\partial\langle M\rangle}{\partial h}\right|_{h=0} \]

である。分配関数を微分すると

\[ \frac{\partial\langle M\rangle}{\partial h} =\beta\left(\langle M^2\rangle-\langle M\rangle^2\right) \]

を得る。左辺は外場への応答、右辺は平衡揺らぎである。これは揺動散逸関係の静的な例であり、感受率の発散が全磁化揺らぎの巨大化を意味することを示す。

局所変数 \(\phi(x)\) の connected 二点相関関数を

\[ G(x-y)=\langle\phi(x)\phi(y)\rangle- \langle\phi(x)\rangle\langle\phi(y)\rangle \]

と定義する。並進不変なら距離 \(r=|x-y|\) だけに依存する。連続表示では

\[ \chi=\beta\int d^d r\,G(r) \]

である。したがって \(\chi\) が発散するには、相関の振幅または届く距離、あるいは両方が十分に大きくならなければならない。

5. 臨界指数

臨界温度からの無次元距離を

\[ t=\frac{T-T_c}{T_c} \]

とする。\(T-T_c\) ではなく \(t\) を使うのは、単位に依存しない小さい展開変数にするためである。\(h=0\) で臨界点へ近づくとき、代表的な特異挙動を

\[ m\sim(-t)^\beta\quad(t\to0^-),\qquad \chi\sim |t|^{-\gamma}, \]

\[ \xi\sim |t|^{-\nu},\qquad C_{\mathrm sing}\sim |t|^{-\alpha} \]

と書く。ここで \(\sim\) は比が非零有限定数へ近づくという漸近的主項を意味する。指数 \(\beta\) と逆温度 \(1/k_{\mathrm B}T\) の記号が同じなのは歴史的慣習なので、文脈を区別する。

比熱は外場を固定した自由エネルギー密度 \(f\) から

\[ C=-T\left.\frac{\partial^2 f}{\partial T^2}\right|_h \]

で定義し、その特異部分を \(C_{\mathrm sing}\) と書く。平均場Landau理論は \((\alpha,\beta,\gamma,\delta,\nu,\eta)=(0,1/2,1,3,1/2,0)\) を与える。一方、三次元短距離Ising普遍性クラスでは、第26部 §6で述べるように \(\beta\simeq0.326\)、\(\gamma\simeq1.237\)、\(\nu\simeq0.630\)、\(\eta\simeq0.0363\) である。実在流体の密度差や圧縮率も、十分臨界点近傍では第16部 §6の実験例のように三次元Ising値へ近づく。

量 平均場 三次元短距離Ising/流体の代表値
\(m\sim(-t)^\beta\) \(1/2\) \(\simeq0.326\)
\(\chi\sim|t|^{-\gamma}\) \(1\) \(\simeq1.237\)
\(\xi\sim|t|^{-\nu}\) \(1/2\) \(\simeq0.630\)
\(G(r)\sim r^{-(d-2+\eta)}\) \(0\) \(\simeq0.036\)

臨界点ちょうどでは

\[ G(r)\sim \frac1{r^{d-2+\eta}} \]

と書き、\(\eta\) を anomalous dimension に関係する指数とする。これらは一般には独立ではない。後に、固定点近傍の scaling field の固有値が指数を決め、熱力学的整合性が指数間の関係を強制することを見る。

6. 普遍性という異常事態

素朴には、臨界指数は格子間隔、分子形状、相互作用の細部に依存しそうである。実際、通常の熱力学量の非普遍的な振幅や \(T_c\) はそうした細部に依存する。しかし指数や無次元振幅比の多くは、非常に異なる系の間で一致する。

これは「近似して細部を無視したら偶然似た」だけではない。RG が説明する機構は次である。

  1. 粗視化は、短距離自由度を積分して長距離の確率分布を保つ。
  2. その結果、Hamiltonian の係数全体が理論空間上を動く。
  3. 臨界面上の多くの初期 Hamiltonian は同じ固定点へ近づく。これは具体的模型ごとに同定を要する [Universality basin assumption / model-dependent identification] であり、第5部 §2、第8部 §5.1、第12部 §6–7で計算・同定・証明の区別を述べる。
  4. 固定点から離れる relevant 方向の数は少なく、臨界点へ到達するにはそれだけを調整すればよい。
  5. irrelevant 方向の差は反復ごとに縮むため、ミクロな差が漸近指数から消える。

結論を先取りすれば、普遍性は「すべてのミクロ情報が消える」という主張ではない。\(T_c\)、振幅、短距離相関などは残る。固定点近傍の長距離・低運動量の特異部分に、少数の情報しか残らないという主張である。

出典案内

秩序変数と対称性に基づく自由エネルギー記述の歴史的原点は Landau (1937)、blockとscalingの物理像は Kadanoff (1966)、RGによる普遍性の整理は Fisher (1998) を参照する。

章末整理

この章で分かったこと

相転移の非解析性には熱力学極限が必要であり、連続転移では応答、揺らぎ、相関長が結び付く。臨界指数がミクロに異なる系で一致することが、RG が説明すべき中心的な謎である。

まだ説明できていないこと

なぜ相関長が発散するのか、なぜべき則になるのか、粗視化が指数をどう計算可能にするのかは未説明である。

よくある誤解

  • 有限系にも厳密な熱力学的非解析性がある、とは限らない。
  • 普遍性はすべての観測量が等しいという意味ではない。
  • 「揺らぎが大きい」は各 spin が単独で激しく動くことだけを意味しない。長距離で協調した connected fluctuation が重要である。

次の疑問

対称性だけから自由エネルギーを構成する Landau 理論は、どこまでこの現象を説明し、どこで失敗するのだろうか。

その結果、何が説明できるようになったか

有限系の crossover と真の相転移、局所揺らぎと長距離相関、普遍量と非普遍量を区別できる。

次に自然に出てくる疑問

Landau 理論は普遍性と非平均場指数をどこまで説明できるか。